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尼歌集
尼崎市役所
第2回 2020/10/10
有名な建築家村野省吾さんにより昭和三七年に建てられた尼崎市役所。
いつまでも見られないかもしれない、大切なものは見られるうちに見ておこうという気持ちを込めて作られた狂歌。「はやくしようよ」には「役所」が隠されている。
尼崎市役所
まだ知らぬ 街のながめを このままで
見られるうちに はやくしようよ
寺町
第3回 2020/10/25
尼崎城建築時に、散在していたお寺を一箇所に集めたのが寺町。江戸初期には二十程のお寺があったが、現在では十一。
繁華街の広がる阪神尼崎駅にほど近い寺町は古い町ではあるが、お酒を飲んで帰る折には新しい出会いがあるかもしれないという川柳。「かえりがテラ マチ人たずね」には「寺町」が隠されている。
寺町
かえりがてら
待ち人たずね
やみのうち
神崎川
第4回 2020/11/10
大阪北部から兵庫県南東部を通る一級河川で、延暦四年(七八五年)に水運をつなぐために、三国川として造られた。
今も昔も秋の日には、寂しさを感じて神崎川を眺めに来てしまうなぁという短歌。「かんじ〜」「先〜」で「神崎」を表している。
神崎川
寂しさを 感じ眺むる 先のころ
神崎川に 秋の日のきぬ
道意線
第5回 2020/11/25
道意(どうい)線は、末広町一丁目から武庫之荘本町三丁目までの市道。江戸時代前期、尼崎藩主青山幸利の針医だった中野道意は大阪の海老江に住んでいたが、青山藩主に勧められて道意(どい)新田を開発し、その地に住んだ。
「どうい」と「どい」が混在しており、そのややこしさに「同意せん」ともう一つ「どうい」を加えて詠った川柳。
第一回から五回までの歌の頭文字を繋げると「尼崎」となることが発表された。
道意線
聞いてみても
どいもどういも
どういせん
田能遺跡
第6回 2020/12/10
昭和四十年の水道工事により、土器が発見され調査が開始した田能遺跡。弥生時代の碧玉製管玉、勾玉、鋳型などが出土した。
出土品から連想される昔の人々の営みに思いを馳せた短歌。「〜田の」「今も〜」「瀬を〜」「君に〜」で「田能遺跡」の折句となっている。
田能遺跡
秋の田の 今も昔も 瀬をはやみ
君に流るる 猪名川の恋
尼ロック
第7回 2020/12/25
尼ロックの正式名称は尼崎閘門(こうもん)で、二つの水門を開閉することにより海水が運河に入らないように調整し、船舶を通航できるようにする施設。また、水害からも街を守っている。昭和天皇も訪れ、御製(天皇の詩歌)碑もある。
見学ルートでは「尼ロック自体は越えられません」という案内があるが、海をも止めてどこまでも一緒に居たいという恋心を詠ったロマンチックな都々逸。
尼ロック
恋のなみかぜ
なだめて止めて
ともにこえたい
尼ロック
西国街道 髭の渡し
第8回 2021/1/10
江戸時代に武庫川の渡しがあったが、西昆陽村の髭の安兵衛さんの茶屋が近くにあったことから、髭の渡しと呼ばれるようになった。京都から西宮を通って下関まで続く西国街道の中でも、京都から西宮までが山崎街道と呼ばれていた。
髭の渡しで西へ向かう旅人たちの情景を詠んだ短歌。「向こう〜」「交は〜」で「武庫川」を、「小屋」と「昆陽」で掛詞となっている。
西国街道髭の渡し
西国へ 向こう旅路の 交はす目に
髭の渡しの 小屋を待つ人
尼崎市農業公園
第9回 2021/1/25
猪名川沿いにある四季折々の景観が楽しめる田能の農業公園。三万六千平方メートルの広大な敷地には、バラ三千本、花菖蒲二万本、二十種類の桜を見ることができる。年中無休、二四時間オープンしている公園。
「花そろイ」「ナカハのどかに」で「猪名川」の掛詞となっている。
尼崎市農業公園
猪名川に 色とりどりの 花そろい
なかはのどかに 田能の公園
尼崎市立魚つり公園
第10回 2021/2/10
武庫川河口にある桟橋スタイルの釣り公園。初心者や子供向けに釣具のレンタルも行っており、河口付近のため初心者でも大物を手にしやすいと高い評判。
ほっこりしたファミリー現代短歌。「魚釣り」の折句となっている。
尼崎市魚つり公園
寒空も かまわず今日も なかまらと
つどう釣りには 理由などなし
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